人気ブログランキング | 話題のタグを見る

水晶と望遠鏡(その3)

一貫斎の以前の望遠鏡はどうだったのだろうか。オランダから日本へ輸出された望遠鏡に関しては、九州大学のWolfgang Michel氏が日本とオランダの資料を検索して詳細に報告している。

ミヒェル氏によると、1613年にイギリス東インド会社の司令官が幕府に望遠鏡を献上した事が、日英両方の資料から裏付けられているそうである。ガリレオの天体観測からわずか数年後のことだ。1632年以降になるとオランダ製の望遠鏡が継続的に輸入されたことがオランダ東インド会社の送り状に記録されており、なかでも1654年には実に41本が送られたと記録されているそうだ。これだけの輸入品があれば、国内で模倣品の製作が試みられるのは自然な流れであろう。

出島商館日誌によると、1729年には長崎在住の「望遠鏡職人」が東インド会社の献上する望遠鏡の点検・保守の任に当たっていたことが記載されているそうだ。もっとも、この職人がレンズの汚れを落としたら性能がかえって低下したという商館長の記録もあるそうだ。ミヒェル氏は、この望遠鏡職人は森仁左衛門正勝でないかと推測している。また、同じ日誌には1759年に商館長が日本製の望遠鏡の性能について、望遠鏡の規模は大きいが「ガラスは黄色く」性能はオランダ製の小型望遠鏡に劣ると記載していているそうだ。

国友一貫斎の反射望遠鏡に先立つこと約100年。森仁左衛門正勝の屈折望遠鏡は、どんなものだったのだろうか。水晶はレンズに使われていたのだろうか。

参考資料
「江戸初期の光学製品輸入について」Wolfgang Michel、『洋学』(洋学史学会研究年報 )第12巻(2004年)、119~164頁

by Nikon8cmtelescope | 2009-08-13 22:12