満天の星・・・・

震災から5日目になって、三陸沿岸部の街に暮らしている親族の無事がようやく確認できた。家は津波に流されたが、みんなで高台の親戚に避難しているということだった。待ちに待った無事の知らせを、家族で喜び合った。震度5強の当地は地震直後から8時間ほど停電したが直接の被害はなかった。しかし、停電が復旧してすぐにテレビで見た火焔に包まれる彼の地の映像は、無事を信ずる心を大きく揺さぶった。それからの5日間という長い長い時間は、メール1つで世界中とリアルタイムで交信が出来るような現代にあって、今度の震災がどれほど深刻なものなのかを物語っているように思う。

震災の夜に車で1時間ほどの実家に母の様子を見に行った深夜の帰り道、停電のために真っ暗な河口湖の湖畔に車を停めた。観光ホテル街には時折通る車のヘッド・ライト以外に人工の明りはなく、湖の上には春から初夏にかけての星座が静かに輝いていた。電気の光が溢れるこれまでの生活では、満天の星は求めて行かないと見られないものだと思っていたが、見慣れたはずの景色の上に広がる見事な星空はとても新鮮で、優しく、そして美しかった。星から感じられる安らぎと希望が、今は星空を見上げる余裕はないかもしれないが、やがてはたくさんの人達に届くことだろうと思った。

このブログを開設して、ちょうど2年が過ぎようとしているが、今月中は更新を休止しようと思う。と言っても、星空を見上げること自体を休止する訳ではない。少々不謹慎だが、計画停電のために自宅周辺でも美しい星空を仰ぎ見ることができるかもしれない。そして何よりも、さらにお手軽撮影に邁進するために1月に注文した新しい望遠鏡が近々納品される予定になっている。再開後にはその新しい望遠鏡での写真も紹介できればと考えている。

それでは、また4月に。

追記
4月24日の読売新聞に、仙台で被災した伊集院静氏のコメントが掲載されているのを読む機会があったので、ここに一部を引用する。

「・・・さまざまな光景が身体の中に入り込み過ぎて、やや混乱もしているが、何度もよみがえるのは、3月11日夜の、あの美しすぎるほどの星空である。地上の惨劇と天上の美眺の相対は何を告げようとしていたのか・・・」

私が河口湖畔で見上げた同じ空を、やはり被災地で見上げていた人は確実にいた。そして、津波にのまれた家屋の上で寒さに凍えて救助を待ちながら、あの星空を見上げていた人もいたはずだ。その事実と、ただただ星空の美しさに優しさを感じた自分の感性とのギャップを認識し、この惨事と向き合っていかねばと思う。

追記 その2
5月23日の朝日新聞に、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区で被災した名取市立閖上小学校6年生菊地里帆子さんが、新任教員の歓迎会で児童を代表して行った挨拶が紹介されていたので、以下に記事をそのまま引用する。

<津波は渦を巻き、おおいかぶさってくるように閖上を消していきました。真っ暗な校舎の中、みんなではげましあいながら助けを待ちました。・・・私たちはこれから、応援してくれる人への感謝を忘れず、精いっぱい生きていきます。あの夜、真っ暗な空に輝いていた星たちのように、希望の星となるように>
続いて載っていた里帆子さんのコメント。
「あの夜は、星が怖いくらい光っていた。悲しかったけれど、停電であかりがなくても星はすごい光っていた。そういう存在になれたらいい」

記事には、被災した学校の備品だろうか、マスクと手袋をして片付けている里帆子さんの写真も載っていた。「怖いくらい光っていた」「悲しい」星空ではあったけど、その輝きに里帆子さんが希望を見いだそうとしていることを知り、涙が止まらない。里帆子さん、どうもありがとう。

追記 その3
菊地里帆子さんの名前のある新聞記事をネット上で探していたら、今年の1月に名取市内で上演した子どもミュージカルに出演した子ども達が、震災後の4月13日に集まって「明けない夜はないから」という復興メッセージソングを歌った、という記事に行きついた。

里帆子さんもミュージカルの出演者の一人で、「自分も被災者だけれど、他の人にも元気を与えたい。みんなに歌を聞いてほしい」と話した、書かれていた。

「見上げれば夜空には 星がきらめく 今まで見たこともない たくさんの星」で始まるその歌はYou tubeで聞くことができた。朝日新聞の記事に載っていた里帆子さんの写真から、きっとこの子が里帆子さんだろうなと思われる姿を見ることができた。その明るい楽しげな表情に、たくさんの力をもらった。

曲のエンディングに「たくさんの星たちが 見守るよ 前を向くぼくたちを 包むように 明けない夜はないから」とある。このフレーズが、里帆子さんをはじめ歌う子ども達に、あの夜の星空を希望の象徴にする力をくれたのだろう。子ども達の力強い歌声を聞きながら、そう思った。

追記 その4
復興メッセージソング「明けない夜はないから」を製作した「プランニング開企画」のブログの4月12日付けの記事から。

『3月11日地震があったあの日あの夜、このままどうなってしまうんだろうと不安に思いながら過ごしました。停電になっている中での激しい揺れ、いままでに感じたことのない恐怖と不安な状態の中、夜空を見上げれば満天の輝く星。こんなに大変な時なのに、思わず「星がきれい」と思ったことを覚えています。人は、どんなに困難な状況の中でも、輝く星を見て「美しい」と感じる心が残っているものなんだなと自分でも驚きました。その心が残っているうちは大丈夫かもしれないとも思いました。』

追記 その5
作詞家で詩人の覚和歌子さんの公式ファン・サイトに、6月11日付けで覚和歌子さんが「震災当夜の星空の物凄さについて伝え聞き」作詞した「ほしぞら と てのひら と」が紹介されている。「被災者の方たちは、どんな気持ちで満天の星と向かい合ったのだろう」という気持ちで書かれたという曲のライブ映像もみることができる。

追記 その6
6月23日の朝日新聞に掲載された、宮城県花巻市東和町で避難生活を送る坂本一也さんの言葉。坂本さんは大槌町の自宅と山田町の職場を津波で流された。以下に記事をそのまま引用する。「今でも不思議ですが、震災当夜、職場の上司と眺めた星の美しさが脳裏に焼き付いています。沿岸部はすべて破壊され、辺り一面が暗闇だったので、星の輝きに気づいたと思う。悲しい輝きでした」

追記 その7
12月23日から25日まで福島県の沿岸部の街に、支援活動の一環として職場から2泊3日で派遣された。震災直後から手を挙げていたが、ようやく自分の仕事を生かせる形で行く事ができた。
街は、一見何も変わらないように見えたが、よく見ると建物のあちこちに亀裂が入り、瓦屋根が青いシートで覆われた家も多数あった。なによりも街で耳にした地元の人達の会話は、原発事故に関連するものばかりだった。

追記 その8
2011年も終わろうとする12月30日に、三陸沿岸部で自宅を津波で失った親族が高台の新居に引っ越した。避難した小高い神社から津波に自宅が流されるのを目の当りにし、足許まで迫る波に死を覚悟したという3月11日から9ヶ月余り。まだ襖も張られていないそうだが、ともかく家族そろって新居で新年を迎えることができたと聞き、とても嬉しい。

追記 その9
あの日から1年が過ぎた3月中旬に、遅ればせながらお見舞いと新居のお祝いを兼ねて三陸沿岸の親族のところまで行ってきた。
地震直後に、海に面したお社のある海抜10メートル弱の小さな高台に避難したところ、津波は一気に周辺の家々を流し去って行ったそうだ。津波の到達高度は10メートル強で、計算上は水没するはずの高台は、避難した30名余りの地域の人々の足許まで波が来たが、その命を守ってくれたという。連れて行ってもらうと、海岸沿いの驚く程ちいさな森のような高台には、ひっそりお社が残っていた。周辺の家々は基礎だけ残して全て失われていた。
あの晩は、雪が舞う中でキレイな月が見えていたそうだ。「でもね・・・・」と言ったきり、あとの言葉を飲み込んだ。私が河口湖畔で星空の美しさに心を奪われていた頃に、繰り返す余震のなかで流出した重油に引火して周囲はまさに火の海だったという。朝になって水が引いたものの、周囲には流された家々や船などが積み上がり、高台を下りる道すら見つからなかった。昼過ぎになって、消防の人が道を切り開いて来てくれてようやく救助された。それまでに口にしたのは、飴と小さなカンパンを1つずつだった・・・・。

3月20日の朝日新聞。佐伯一麦氏と古井由吉氏の往復書簡の最終回。佐伯一麦氏の手紙から。「震災の夜に上った七夜の月が、一年を経て巡ってきたのは二月二十八日の夕で、この日こそ一年の後と思い定めて月を待ちましたが、雪が降りしきり心の月を眺めることになりました。」
そう、あの晩は半月直前の月がスバルの横に見えていた・・・。
1年が過ぎて、金星と木星を従えてスバルの横に並ぶ月を見て、思い出した。

追記 その10
震災から2年が過ぎようとする2013年3月1日の朝日新聞の震災特集の記事
宮城県女川町立女川第一中学 佐藤敏郎先生の語りから。・・・2月15日、全校で防災集会を開きました。テーマは「3・11と向き合うです。・・・一言メッセージを書いた。「なになに3・11」というものです。俳句より長くてはだめ。呼びかけでもいい。自分しか分からない言葉でもいい。無理に書かなくてもいいよ。そう伝えました。・・・「流れ星を二つ見た3・11」と書いた子もいた。あの晩はみんなで体育館に泊まりましたからね。

1年が過ぎた時には「ああっもう1年が過ぎたんだ」という前向きな感慨があった。そして2年が過ぎた今は、むしろ日常を取り戻すまでの道のりの長さに改めて呆然としてしまう。

追記 その11
震災から3年目のNHKラジオの特集番組をカーラジオで運転中に聴いた。
岩手県石巻市で被災した方々からのメッセージで、「震災当夜のすごい星空の美しさが今も忘れられない」という投書と、「悲しみと絶望で止まらなかった涙が、震災当夜の美しい星空を見ているうちに自然と止まって、希望を感ずることができた」という投書が紹介された。その夜の石巻は、それまでの吹雪のような雪が止むと、サーッと一面に見事な星空がひろがったのだという。
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by Nikon8cmtelescope | 2011-03-19 01:55 | 月・星のある風景