手持ち撮影の限界は?

以前に木星に接近した海王星の撮影に何度か挑戦したが、目視では見えていてもデジカメでは確認することができなかった。海王星の高度は7.9等星相当だったが、いったいコンパクト・デジカメの手持ちコリメート撮影の限界はどのくらいなのだろうか。

b0167343_2351011.jpgそこで、東に昇ってきたM41すばる星団に望遠鏡を向けた。「すばる」には様々な光度の星が程よく集まって存在していて、テストするのに最適の天体だ。撮影はISO 1250で露出は1秒で行い、ノイズの影響を減らすために15コマをコンポジット処理した。

できた写真の一部を拡大して、写った星の光度を書き込んでみた。すると7等星は全く問題なく、8等星も大丈夫だった。9等星でも存在は確認できるが、星の数が少ない視野だとノイズとの区別が難しいかも知れない。そして、10等星は全く写っていなかった。

b0167343_2352186.jpg
ということで、極端に星の数が少ない視野でなければ、海王星の光度なら十分に撮影は可能であることがわかる。星雲では条件が少し違うかも知れないが、光度から言えば多くのメシエ天体も十分に撮影の対象になると考えられる。
[PR]

by Nikon8cmtelescope | 2009-08-31 23:06

逃した魚は・・・

土曜日の晩は雲が多かったが、木星の輝きにいてもたってもいられなくなって望遠鏡を出した。

風はないが望遠鏡で木星を見るとチラチラと気流の影響が出ている。薄雲の少ないタイミングをねらって撮影していると、時間が経つとともに気流の影響がますます強くなってきた。それでも往生際悪く撮影していたが、画質の悪いコマが気流の悪化に比例して増えて来るのが実感されると、さすがに撮影はあきらめた。

b0167343_0125674.jpg薄雲の影響が少なかったタイミングで約3分間に撮影したコマの中から16コマを選び、8コマずつコンポジットしてみた。木星の自転の影響が出るほどの撮影時間ではないので、2つの木星の若干の差異は気流の影響とコンポジットの技術的な影響によると思われる。

「逃した魚は大きい」と言うが、それにしても思い出されるのは先週の土曜の晩の木星だ。気流の影響はほとんどなくて縞模様が非常にシャープだった。日食や流星群などの天文現象が一期一会なのは言うまでもないのだが、天気さえ良ければ毎晩見る事が出来る惑星であっても、やはり一期一会なのだと納得した。
[PR]

by Nikon8cmtelescope | 2009-08-28 00:17 | 惑星

禍い転じて・・・・(その3)

東の空に高く昇ったペガサスの四辺形から、見慣れた星の並びをたどってM31アンドロメダ銀河を望遠鏡に導く。

今までに望遠鏡をM31にいったい何度向けただろうか。晩夏から初冬にかけて望遠鏡を出せば必ずと言っていいほど眺めてきた一番見慣れた星雲であるが、久しぶりに胸の高鳴りを感じつつレンズをのぞき込んだ。

望遠鏡は片目で見るので本来なら立体感を感ずることはできないはずであるが、アンドロメダ銀河の光芒には厚みを感ずる。これは、冬の星雲の横綱であるM42オリオン星雲が、風になびくカーテンのように感ぜられるのと対照的だ。

b0167343_0372552.jpgデジカメをレンズに押し付けると露出を3秒に設定して撮影した。ところがどの写真も周辺の星々のピントが甘く感ぜられる。デジカメのオート・フォーカスが明るく茫洋とした星雲の影響でうまく定まらないのかも知れない。ということでコンポジット処理はせずにピントが最もシャープな1枚を出した。

本来なら満月の5倍の広がりがあるので、この視野よりも大きな広がりを持つはずであるが、中心部のなかでも最も明るい部分しか写ってはいない。天体写真で見るアンドロメダ銀河とは大部違った姿だが、粗さは目立つものの望遠鏡での目視のイメージに近い写真だと思う。

普段と違うデジカメで好条件の木星がうまく写らなかったのは残念だが、手持ちデジカメでも星雲の撮影が可能なことがわかった。これからは色々な星雲の撮影にも挑戦して行こうと思う。

(撮影したメシエ天体 通算3/107個)
[PR]

by Nikon8cmtelescope | 2009-08-25 00:39 | 星雲

禍い転じて・・・・(その2)

M57リング状星雲は惑星状星雲に分類されるが、惑星状星雲は恒星としての寿命が尽きて放出されたガスが中心部に残る星に照らされたもので、見た目が惑星のように見えるという理由で命名されたらしい。実際に口径8cmの望遠鏡で覗くと、その光は淡いながらも輪郭がはっきりとしている。

b0167343_2152421.jpg
夏の代表的な惑星状星雲と言えばM57とともに「こぎつね座」のM27亜鈴状星雲が挙げられる。M57の撮影がうまくいったので、次はM27を狙った。「わし座」のアルタイルから「や座」の先端の星にたどり、その先にある小さなW字型の星の並びの真ん中の星に望遠鏡を向けるとM27が見えてくる。

M27はM57に比べると低倍率でも視野の中でかなり大きく広がっている。その分、星雲の密度が低いとでも表現したらいいのだろうか、淡い印象を受ける。名称の通り円形から弧の一部を削ぎ落とした感じに見えるような気もするが非常に曖昧模糊としている。

b0167343_2153994.jpg写真に撮ってみるとデジカメのモニター上でも存在は確認できるが、形状ははっきりしない。そこで3秒露出で撮影した7枚をコンポジットしてみた。すると相変わらず茫洋とした姿ではあるが、空き缶の中央を握り潰したような、あるいはリンゴを丸かじりした芯のような形をしているのがわかる。しかし「亜鈴状」というイメージではなく、夜空のシミのような感じだ。

M27に関して言えば、限られた露出時間でよりシャープな映像を得るには、もう少し倍率の低い接眼レンズが欲しい。次は、星雲の横綱とでも言うべきM31アンドロメダ銀河に望遠鏡を向けた。

(撮影したメシエ天体 通算2/107個)
[PR]

by Nikon8cmtelescope | 2009-08-21 23:48 | 星雲

禍い転じて・・・・(その1)

日曜日の夕食後に眠ってしまって、ふと目を覚ますと雲1つない夜空だった。夕方には雲が空を覆っていたので、星空はすっかり諦めていたのだった。風もなく透明度も良好で絶好の観望条件だ。しかし、家のデジカメは子供が旅行に持っていってしまっていた。そこで職場のコンパクト・デジカメを急いで借りてきた。

望遠鏡を出して南中した木星を覗いてみると、気流が安定していて縞模様の濃淡がシャープに見える。見ている間に木星の裏側に隠れていたガリレオ衛星が2つ、次々に姿を現した。ところが、どう調整しても写真は露出オーバーになってしまい、縞模様が明るさに完全に埋没してしまう。こんなに素晴らしい条件なのに・・・となかなか諦めがつかない。

b0167343_0492136.jpg
いろいろとカメラの機能を確認しているうちに、家のデジカメとは違って長い露出時間の調整は簡単に出来ることがわかった。そこで望遠鏡をこと座のM57リング状星雲に向けると、大して期待もせずにISOを1600に設定し露出時間は3秒で試しに写してみた。すると、驚いたことに星雲がちゃんと写って見えるではないか。

b0167343_0493790.jpg力加減に注意すれば低倍率だと3秒の露出でも比較的手ブレは目立たずに撮影できた。撮影した中から手ブレの少ない3枚を選びコンポジットしてみたところ、濃淡があって左上と右下が少し暗く唇のように見えるM57星雲の特徴的な形状をきちんと捉えている事が確認出来た。

コンパクト・デジカメを手持ちで接眼レンズに押し付けて、リング状星雲を撮影しようなどと考えた者はおそらく他にはいないだろうと思う。もしかしたら、世界で初めてではないか。すっかり気持ちは前向きになり、他の比較的明るい星雲の撮影も試みてみた。

(撮影したメシエ天体 通算1/107個)
[PR]

by Nikon8cmtelescope | 2009-08-19 00:54 | 星雲

水晶と望遠鏡(その5)

森仁左衛門について調べるうちに名前が出てきた岩橋善兵衛は、眼鏡職人だった経験を生かして精力的に望遠鏡作りに取り組んでいたらしい。その望遠鏡は大阪の貝塚市にある「善兵衛ランド」に展示されており、その様子は福田和昭氏の訪問記に詳しく書かれている。しかし残念ながらレンズの仕様については記載がなかった。

他にも富山市科学博物館のホーム・ページに明治時代にかけての国産望遠鏡について詳しく書かれていたが、いずれにしてもインターネットを調べた中では国産望遠鏡のレンズに水晶が使われたことを明記した記録は見いだせなかった。ここまで調べた印象としては、水晶をレンズに使って望遠鏡が作られた可能性は十分にあると思っているので、今後も機会あるごとに調べてみたいと思う。

それでは、水晶は望遠鏡のレンズとして利用が可能なのか?これに関しては、「第7回双眼鏡・望遠鏡サミット」という自作望遠鏡の会に出品された、杉山隆敏氏の試作による直径約10cmの大きな水晶玉を接眼レンズに用いた、その名も「キーボードラゴン」という望遠鏡がインターネット上に紹介されていた。さすがに周辺部は歪みが強いようであるが、中心部の像はなかなかのものだったようだ。

また、ネット上で入手できるような1個100円程度の小さな水晶玉を接眼レンズに使用する自作望遠鏡も、宮澤謙一氏によって紹介されていた。これなら、接眼レンズを自作してNikon 8cmで見え具合を試すこともできそうだ。こちらも挑戦してみたいと思う。

参考資料
「善兵衛ランドへ行ってきました」塩屋天体観測所 プラネタリウム・天文台訪問記
「遠眼鏡」富山市科学博物館:富山市天文台
「第7回双眼鏡・望遠鏡サミット」双眼工房 
「望遠鏡工作教室レポート!」宮澤謙一 宮沢実験室
[PR]

by Nikon8cmtelescope | 2009-08-17 23:00

水晶と望遠鏡(その4)

森仁左衛門の作ったとされる望遠鏡は、神戸市立博物館や神戸商船大学附属博物館に残っているそうである。このうち、神戸市立博物館の「牡丹に唐草文望遠鏡」はインターネット上で写真を見ることができる。伸ばすと長さが265cmもあるそうだから、結果的には相当に暗い像しか見えなかったはずである。

大きさから言うと、出島のオランダ人商館長が規模は大きいが性能は劣ると記録した望遠鏡のイメージと重なる部分が確かにありそうだ。ただ、光学的にはともかく工芸的には技術の粋が尽くされていて、朱と黒の漆塗りで金文様が施され、覗き口には鼈甲が付いているという点は興味深い。この辺りは望遠鏡本来の機能には関係ないが、当時の文化的な価値観が贅沢品であった望遠鏡に色濃く反映されているように思う。

当時の国内のガラス製造技術はどの程度のレベルにあったのだろうか。前出のミヒェル氏の論文には、オランダ東インド会社が日本へガラス吹きの技術導入を試みたもののなかなか受容されず、国内での主なガラス製品は瓶や腕だった様子が記載されている。レンズの製造に関しては記載がないが、高度なガラス製造技術を持っていた可能性は低そうに思われる。その一方で、出島のオランダ人商館長が国産望遠鏡のレンズが「そのガラスは黄色く、我々のほど明るくない」と記録していることから、このレンズがオランダからの輸入品とは考えにくい。この記述からは、レンズは国産だと考えた方が良さそうにも思われる。

そう言った時代背景を前提に、十分なガラス製造技術が整っていないなかで国産のレンズで望遠鏡を作り上げたとすると、レンズに水晶を用いた可能性もあるように思われる。一方、望遠鏡が贅沢品であったという前提で考えた場合には、水晶ないし国産ガラスから作ったレンズと舶来のガラス製レンズの、どちらが珍重されたかと考えてみることも意義があるかも知れない。その視点からは後者の可能性が高いようにも思うのだが、残念ながらレンズの仕様はインターネットでは確認できなかった。

参考資料
「牡丹に唐草文望遠鏡」神戸市博物館ホームページ 名品撰 江戸の工芸
[PR]

by Nikon8cmtelescope | 2009-08-15 00:28

水晶と望遠鏡(その3)

一貫斎の以前の望遠鏡はどうだったのだろうか。オランダから日本へ輸出された望遠鏡に関しては、九州大学のWolfgang Michel氏が日本とオランダの資料を検索して詳細に報告している。

ミヒェル氏によると、1613年にイギリス東インド会社の司令官が幕府に望遠鏡を献上した事が、日英両方の資料から裏付けられているそうである。ガリレオの天体観測からわずか数年後のことだ。1632年以降になるとオランダ製の望遠鏡が継続的に輸入されたことがオランダ東インド会社の送り状に記録されており、なかでも1654年には実に41本が送られたと記録されているそうだ。これだけの輸入品があれば、国内で模倣品の製作が試みられるのは自然な流れであろう。

出島商館日誌によると、1729年には長崎在住の「望遠鏡職人」が東インド会社の献上する望遠鏡の点検・保守の任に当たっていたことが記載されているそうだ。もっとも、この職人がレンズの汚れを落としたら性能がかえって低下したという商館長の記録もあるそうだ。ミヒェル氏は、この望遠鏡職人は森仁左衛門正勝でないかと推測している。また、同じ日誌には1759年に商館長が日本製の望遠鏡の性能について、望遠鏡の規模は大きいが「ガラスは黄色く」性能はオランダ製の小型望遠鏡に劣ると記載していているそうだ。

国友一貫斎の反射望遠鏡に先立つこと約100年。森仁左衛門正勝の屈折望遠鏡は、どんなものだったのだろうか。水晶はレンズに使われていたのだろうか。

参考資料
「江戸初期の光学製品輸入について」Wolfgang Michel、『洋学』(洋学史学会研究年報 )第12巻(2004年)、119~164頁
[PR]

by Nikon8cmtelescope | 2009-08-13 22:12

水晶と望遠鏡(その2)

ガリレオが望遠鏡で天体観測を始めて今年で400年であるが、当時のレンズは何で作られていたのであろうか。ガラスについてインターネットで調べてみると、すでに紀元前の遥かな時代から人類はガラスを利用しており、ヨーロッパでは15世紀には屈折度の高いクリスタルグラスを製造していたと記載されている。つまり、望遠鏡の発明当時にはガラスをレンズに利用することが可能であったと考えられる。

日本国内ではどうか。これについて非常に興味深い報告がネット上にあった。長野県上田市教育委員会の渡辺文雄氏による「ちょんまげ頭で見た天体」である(より学術的な視点からは富田良雄氏らの論文のPDFが閲覧できる)。このなかで、渡辺氏は1832年ごろから反射望遠鏡の制作に取り組んだ近江の鉄砲鍛冶職である一貫斎国友藤兵衛が作った望遠鏡の検証を詳しく報告している。望遠鏡は口径が6cmの本格的なもので、一貫斎は土星の輪や木星の縞模様も記録に残しているそうだ。

それによると、一貫斎の作製した望遠鏡の接眼レンズは水晶で作られていると伝承されていたそうであるが、上田市博物館所蔵の一貫斎製作と伝えられる望遠鏡について、国立天文台や京都大学工学部で光学的および化学的な解析を行ったところ、接眼レンズは水晶ではなくガラス製であることが判明したそうである。ガラスの組成や当時の交易状況からオランダ経由で輸入したスイス製のガラスを用いたと推測している。

もっとも、一貫斎の生家に保存されている望遠鏡製作のための部品箱には、水晶の破片が沢山残っていることを渡辺氏は確認しているそうで、一貫斎が水晶レンズを試みた可能性は十分にあるそうである。それなら、他の国産望遠鏡はどうだったのだろう。

参考資料
「ちょんまげ頭で見た天体」あすてろいどHP 渡辺文雄
「国友一貫斎」ウィキペディア
「国友藤兵衛製作グレゴリー式反射望遠鏡の学術調査」富田良雄ら、国立天文台報 1998(4);9−41
[PR]

by Nikon8cmtelescope | 2009-08-12 01:44

水晶と望遠鏡(その1)

2年前から、あるきっかけで夏になると友人と息子との三人で山に水晶の採取に行くようになった。

連なる山々をぬうように走る林道を車で登って行くと、下界の暑さとは別天地の幽玄な世界が広がる。林道脇に車を止めて緑深い山道を歩くと、やがて盆地を潤す川の源流を渡る。アップ・ダウンのある山道に汗をたっぷりとかく頃に、目指す場所に辿り着く。

b0167343_22405336.jpg森の中で小鳥の声と清流の音を聞きながら、ひたすら水晶を探す。土に埋もれた小さな輝きを手にした瞬間は、苦労して目的の星雲・星団を望遠鏡に導いた瞬間の喜びに似ているかも知れない。

今回は、友人の案内でいつもの場所から少し離れた斜面で採取した。友人のとっておきの場所だけあって、いつもよりも大型で透明度の高い水晶が採取できた。

2年前に博物館で大正時代に眼鏡のレンズとして加工された水晶の展示を見た。その時には考えもしなかったが、最近になって水晶が望遠鏡のレンズとして利用された事はなかっただろうかと考えるようになった。そこで、星の見えない週末にインターネットで少し調べてみた。
[PR]

by Nikon8cmtelescope | 2009-08-10 00:15